週末に、子供が東京の八王子のお友達の家から帰ってきました。
長野はすでに2学期が始まっていましたが、東京では8月いっぱいまで夏休み。そして、東京(団地)時代に毎年ちかくの町内祭りがこの時期ありました。
今回はそれにあわせて、旧宅(団地)仲間の年上のお友達のところにお泊りしにいったのでした。
お友達といっても3歳のころからの親友おねえちゃんという感じで、ずーっと遊んでいたのでした。
そしてこの日、自宅に帰ってきた夜は、
「東京へ帰りたい!」。゚゚(つД≦。)°゚。
「東京のほうがみんないて、やさしかった、楽しかった!」
と泣き出しました(汗
東京といっても、あの団地へ帰りたい、ということなんですが(笑)
こういう経験は、誰にでもあることだと思います。
引っ越したり、転校したり、転職したりすると、
あの時のほうがよかった・・・
って思えてしまうものです。
環境が変わると、どうしても疎外感を感じてしまいます。
しかし、同じ瞬間というのは唯一無二で、
あの場所へ戻れる、というのとは単なる物理的錯覚でしかありません。同じ時・同じ環境というものは、もう存在しないのです。
変化を拒んでも、変化は常にそこにあるのです。
今の環境には、あのなじみのある団地の子もいませんし、田舎暮らしにも、日が暮れたらおうちに帰る、遊びたくても予定の枠内通り、そんなルールが存在します。
東京にいたころの団地生活では、ドアからドアまで数秒なので、週末はたいていお泊り。園児や小学生も何人かいて、幼稚園が終わってから19時くらいまではかってに行ったり来たりして、団地の敷地でも、暗くなるまで自転車こいだりして割と自由にあそんでいました。
そんな自由な体験はそうないかもしれません。
※いや、けっこうそれに近いくらい今も遊んでいる気もしますが…
遊びまくった子供時代というのは大事なんじゃないかな
これに似た体験を私もしたことがあります。
それは私が小学校4年生のときの1年限定の体験でした。
当時、親が離婚して母子家庭だった私は、マンションの3階にすんでいたのですが、となりに、6年生の子が引っ越してきたのです。この子が、ちょっとヤンチャで、(親の常識からすると)ハメを外し過ぎるイタズラ好きな男の子でした。
その子の家とお隣同士で、ある日、なんとベランダの柵を外回りに超えて、私の部屋にやってきたのです!
最初は驚きましたが、こっちへコイというので、私も柵をこえて隣の家にいったり…
それからは、ベランダが私たちの出入り口になっていました(笑)
遊び方も自由気ままでした。
ボールで遊んだり、ドブ川で釣りしたり、ピンポン逃げしたり、バクチクしたり、水玉風船投げたり、イタズラしたり、探検したり、そのほとんどが、夕方から、夜8~10時くらいまで続きました。
ある日には、夜9時くらいから、ベランダから「○○~、いるかぁ」と声をかけられ、こっそり遊んだりしていました。
言ってみれば悪い友達というのはこれにあたるかもしれませんが、この6年生は、人をいじめたりはしなかったし、いざというときは守ってくれるような優しい子でした。
今思うと、完全に「トムソーヤ」のような体験だったです。
良い悪いは別として、
これまで常識を疑わなかった私にとって、その体験は、非日常であり、常識を逸脱させてくれるその6年生がすごくセンセーショナルで、自由を感じさせてくれました。
もうその1年間はハチャメチャです(笑)
その後、ある日、隣の友達は急に家族ごと姿を消しました。
借金があったらしく、追われて夜逃げをしたようです。
そんな状況の家庭の子だったのです。
しかし、今思えば、その1年限定の夢のような時があったからこその【今】と思えてなりません。
私はとくに、固定観念のかたまりのような人でしたが、そんな非常識体験のおかげで、殻をブチ破る原動力を得たわけです。
話はもどりますが、
子供は「東京に帰る」「なぜ帰ってはいけないのか」ということをしきりに言ってぐずってきました。
わかってはいるけど、わかれない、そんな年齢でもあります。
泣くだけ泣くのを聞くだけ聞いて、最後はこちょこちょして笑ったら、パタっと寝ました(笑)
自分が子供のころは、「あの頃がよかった!」とか「引っ越したい!」とか、親にも誰にも言えなかったです。
それが素直に吐き出せる環境、それをキープしてあげるのが、親の仕事かもしれません。
まだ田舎暮らし2年目です。いつかは、ここがホームになる時が来ると思います。
もっと遊べ、そして、大人になっても、死ぬまで遊んでいいんだぞw