八ヶ岳はずいぶん涼しくなり、朝晩は寒いくらいです。
5年生の植えた田んぼは黄金色になりつつあり、間もなく収穫です。
そんな中、昨日は小学校の運動会でした。
台風の影響で、1日延期しての開催。雨も覚悟したのですが、なんと晴れ間も出て涼しい1日となりました。
毎回思うのですが、この学校の天候判断が絶妙に良くて、いつも感心しています。
ちなみに隣の学校は前日の雨の中を決行。(昨年も同じく雨天決行していたような…)
いろいろ事情はあると思いますが、この小学校はほんと凄いと思ってしまいます。
私もキライな組体操、だけど子供は…
最近は組体操をしない学校が増えているようなことをニュースで目にします。
私も自由奔放主義ですから、組体操のようなものは嫌いで、無くなってもいいんじゃないかと思っていました。
しかし、子供はといえば、家に帰ってからも、倒立やサボテン(組体操の技)の練習を喜々としながらやっています。
出来ることの喜び
なるほど、今回高学年の組体操を見ていて、思うところがありました。
得意な子も不得意な子もいます。
見ていて、やっぱり向いてないような子とか、いまいち合わせきれない子とか。
でも、なんというか、それをある程度容認しているんですよね。
出来ない子なりの出来栄え。それをできる子水準のラインに統一させていないというか、ある程度幅がある。
なので、見た目は完璧ではない。けど、目的はそこじゃないことが明らかなのが分かりました。
絶対レベルで物事を押し通すと本来の目的を見失う
先生としては父兄にこれだけ頑張ってやってます!ってところを見てもらいたいと思うのは当然です。でも、そこに見た目傾倒してしまうと、あれ?っておかしなことになってしまうのでしょうかね。
いつしか人は、物事が相対的ではなく、絶対的なものとしてみるようになり、「でなければならない」と思い始めることがあります。
さらにそれを超えて、そうじゃなかった、と気づくことができたら、それが成長ですね。
早い時期にそれがわかると良いのですが。