梅雨の中休みの晴れ日。クラス役員出動です。
学校行事で、近くの川のゴミ清掃に参加してきました。
1-2年生は狭いエリアでの地元の川のゴミ清掃でしたが、ゴミはたいして無く、その後すぐに水遊びタイムになりました(笑)
というか、これが本当の目的でしょう。
田舎の子といえども、川に入る体験はそう多くないようです。
はじめは河原におりるのもオドオドしていましたが、帰りは水の中をジャバジャバやって歩いています。
八ヶ岳から流れる水は夏でも冷たく、今日は晴天ということもあり、子供は大はしゃぎです。
「水が冷たい!」とか「お尻が濡れた!」とか、
そのくらいのことでテンションMAXになれる子供が、
いかにシンプルに生きているかを感じさせられます。
大人がいかに「都合」で生きているか。
そして、生活のためとか、将来のためとか、理由をつけては、「都合」の渦中にはまって苦しんでいるのは、どこの誰だか。
大人こそが、子供のように遊ぶ体験をしたほうがいいんじゃないかな?!
子供のシンプルな反応を見て大人は、そうじゃない・それはわかっていない、と上から目線な反応をしてしまいますが、そのさらにずーっと上から目線で俯瞰しますと、おバカなのは自分自身(大人)だった・・と気が付きました。
自分自身が癌になったり、窮地に陥ったりした人は気が付きます。
明日のために生きていることが、いかに今日(今)に申し訳ない過ごし方をしているかということが。
五体満足で何不自由なく生活できていると、まったく無知と惰性とあたりまえで生きてしまいます。
それに気が付けるかどうか。ここが運命の分かれ道。
別に上手く生きようなんてしなくてもいいのだ